コラム vol.47
姫路の書写山。ロープウェイで山頂に登るとそこには圓教寺という密教寺院が。
姫路ツアー最後は、「書写山」そして「圓光寺」と呼ばれる観光スポットです。
一般的に姫路といえば姫路城をイメージされる方が多いのではないでしょうか?
白く塗られた壮麗な姫路城もよいですが、それとは真逆の人里離れた山の中に密教寺院がひしめく山があるのです。
『姫路城の目の前のバス停から行ける書写山』
旅行サイトのポイントが月末で消失するという由々しき事態のため、白羽の矢を立てた姫路の地。
宿は「ゲストハウス」と呼ばれるバックパッカーが泊まる安宿を選び姫路城観光を終えた私は棒のようになった足を引きずりながら、一路宿へと向かいました。
そして、支払いの段になり「あ、なんかポイントでの支払いになっていないみたいです」という驚愕の事態を宿のスタッフから告げられます。
「あー、(面倒くさいから)現金でお願いします」と告げ、その日の夜はスタッフの人にお酒を振るまい色々な話をしていました。
話の中で「書写山行きましたか?いいとこですよ。お寺とかありますよ」というアドバイスを頂いたので次の日何もせず帰るのも勿体無いと書写山へ行くことに決めました。
姫路城の目の前を走る路線バスに乗ること数十分、バスは終点書写山のバス停に停車します、費用はあまり覚えていませんが700円くらいだったような気がします。そして、さらに運賃を払う段になって恐ろしい事に気が付きます。
「財布にお金があまり入っていない」
コンビニがあるから大丈夫だろうと思ったら、あたり一帯山だらけで唯一あるのがおみやげもの屋という辺鄙な場所です。
まあ、なんとかなるだろうと山頂へ向かうロープウェイのチケット売り場で券を購入すると往復で1,000円程度を支払います。
山頂に向かうロープウェイには家族連れやカップルが多かったような気がします。
皆さん思い思いにデジカメで辺り一面に広がる山々を撮影されていました。
特筆すべき点があるとすれば、同乗していた女性ガイドさんのトークが秀逸だった事でしょうか。
15分に一度便が出ているため、訓練に訓練を重ねたトーク技術なのでしょう。
そうこうして山頂に到着すると、密林と形容しても遜色ない鬱蒼とした木々が奥に広がっていました。
山頂のガイドを見るとさらにてっぺんまで片道2,30分程度の道程と書かれていましたが、実際それくらいかかります。
体力に自信がない方は有料でバスが出ているのでそれをご利用されるとよいでしょう。
山頂について歩いて5分、さらなる危機が私を襲います。
なんとお寺のお坊さんが関所を構えていて入山料を500円徴収していたのでした。
「坊主丸儲け」という単語が頭の片隅に浮かびながら入山料を支払い、帰りのバス賃を考えると後は霞みを食べながら急激な山道を登るという一人罰ゲームが始まります。
何度もいいますが、お財布にはお金を入れていきましょう。
山の中も資本主義社会です。
『圓教寺寺という密教寺院』
では、この書写山はどうして観光名所になったのでしょうか?
日本の寺院で有名なものとして滋賀県にある焼き討ちで有名な「比叡山」がありますが、西の「比叡山」と呼ばれるくらい格式が高い寺院がこの「圓教寺」だということです。
設立から1,000年以上も経過するお寺である圓教寺は東西に長くその敷地を持ち、「摩尼殿」「大講堂」「食堂」といった建物が見どころです。
山頂から20分ほど途中石像や謎の祠のようなものを横目にトレッキングを続け、ちょっとした橋がかかっておりその先にある石段を登ると「摩尼殿」に辿り着きます。
眼前にそびえる巨大な建物は圧巻です。
中に入ると恒例のお賽銭タイムの時間になったのでご縁がありますようにと5円を入れる事が慣例となっていますが、一度もその効果が出たためしがありません。
なぜでしょうか?
なぜか入り口付近の売店には「チベット国旗」が掲げており、なにかゆかりがあるのか尋ねたところ「ダライ・ラマと親交がある」ということをおっしゃっていましたが、密教的なサムシングでつながっているのでしょう。
チベットといえば中国共産党の侵攻によって様々な弾圧を受けている事で、様々なミュージシャンがフリーチベット活動をしている事で一時期注目を集めていましたね。
最近あまりそういった話は聞かれなくなりましたが、こんな山奥の中で再び耳にするとは思ってもいませんでした。
お寺はいいですね。風がよく通るので夏場はとても涼しく、夏場だけ寺の息子になりたいと思った時期もありましたが、正座ができないのと、真冬に滝に打たれているお坊さんの映像を見たことがきっかけでいつしかそんな事考えなくなってしまいました。
大人になったのでしょう。
摩尼殿で小休憩をとり、西側へ向かいます。
途中で「食堂」という標識をみたので何か食べたいなーと思いましたが、それは「じきどう」という施設の名前でした。
西側のエリアにはこの「食堂」と「大講堂」が隣接し、広大な広場があります。
近くでお坊さんが観光客の団体客相手に「ここは、たまにオーケストラが演奏したり、映画のラストサムライの撮影にも使われました」と説明していたので、なるほどハリウッドスター御用達なわけです。
『圓教寺にゆかりのある弁慶、黒田官兵衛』
「食堂」や「大講堂」の中には、数多くの資料が掲示されており中には目を引くものがあります。
例えば、牛若丸または「源義経」の家来として有名な巨体の僧侶「武蔵坊弁慶」もこの圓教寺で修行をしていたそうです。
気性が荒く巨体であったとされる武蔵坊弁慶はこの寺院でもトラブルメーカーとして問題を起こしていたそうです。
その弁慶は力も強かったため巨大な木製の学習机を片手にあちこち移動していたそうで、その机も展示されていました。
個人的にこういった歴史的な場所に行くとよく名前を聞く三大有名人が「源義経」「松尾芭蕉」「聖徳太子」です。
以前富士山に登った際にガイドの人が「聖徳太子は昔この山を馬で登られてあの宿に宿泊されたそうです」と言っていましたが、どうみても落馬しそうな斜面だったという思い出があります。
歴史というのは話半分で聞くのがいいのでしょう。
その他、圓教寺にゆかりがあるのは黒田官兵衛です。
織田信長の命令により播州(姫路エリア)の平定の命を受けた豊臣秀吉は窮地に立たされます。
そこで秀吉の部下であった黒田官兵衛は戦略上有利に持っていくため圓教寺を含めた書写山を接収する事を秀吉に進言しそれにより秀吉は窮地を脱しました。
ここまで聞くと美談のように聞こえますが、接収された結果圓教寺は資産を没収され何百人といた僧侶は寺を離れ、それ以降圓教寺はその規模を取り戻す事ができなくなったという事です。
歴史の表の華やかな戦歴もその背景には数多くの破壊があるという事はあまり姫路城では触れられていないような気がします。
ただ、仏教的にいえばそれも諸行無常であるから仕方のないことなのかもしれません。
こうして、旅行サイトのポイントがきっかけで訪れた姫路もいざ行ってみると様々な発見があるものです。
もし、姫路にお立ち寄りの際はこの書写山と圓教寺も選択肢に入れられてはいかがでしょうか。