コラム vol.34
書くことを通して気がつくもの。意識と無意識の関係とは一体。
書くことを毎日毎日繰り返しているとある時期から、「意識」と「無意識」が書き上がった内容に大きく影響を与えている事に気が付きました。
こんにちわ!8月も終わりを告げ以前のような蒸し暑さは感じなくなりましたね。
さて、今回は「書くこと」を通して自身にどのような変化が起こるのか?
そして、それはなんなのか?について考察してみました。
『ストレス』
最初は、ものを書くという事に「物書きをしたら女の子にモテるのではないか」という漠然とした憧れを抱いて始めたものの、これを毎日何時間も続けると次第に「ストレス」というものが溜まってきます。
腕は腱鞘炎気味になるわ、モニターを見続けるため目は痛いは頭が痛いはと身体的に色んな影響が出始めます。
しかし、それ以上に自身で驚いた変化というのが「人と話したくなくなる」というものです。
大量に書き続けていると次第に、自身が「トランス」状態または自分の無意識を呼び起こすため、「意識」を必要とする会話がとても億劫になってしまいます。
『書き上がったものを見ると』
なので、自身で書き上げたものを時間を置いて読み返すと「これを本当に自分が書いたのだろうか?」と驚きを覚えるようなものがいくつかあったりします。
「ストレスが溜まって、欲求不満なんだろうなー。でも、そんなときに書いた文章の方が後で読み返しても結構しっくりくるんだよなー」
と、そして最近この「瞬発力」みたいなものが結構大事なのだろうと思ったりもします。
なので、ここで書くコラムにしても自分で何かを書くときもとりあえず色々フラフラしたり、ぼーっと色んな本を読んでなんとなく断片的にネタを集めていくと次第にそういったものが頭の片隅で関連付けられて「よし、こんな感じだろう」と一気に30分程度で書いています。
そのため、書く時間よりもネタ集めの方に何倍も時間がかかり、ある意味赤字商売であるかもしれません笑
まあ、楽しいからいいんですけどね。
『意識と無意識』
意識というのは表面的なものなので、いわゆる「論理的」と呼ばれる思考がそれに当たるのでしょう、社会生活を送る上ではそれはとても重要でそれがないと円滑な社会生活が送られなくなってしまいます。
しかし、何かの爆発力を出す際には「理性のタガ」を外すではありませんが、一旦論理的な思考をどこかにひっこめて人間に本来備わっている「無意識」または「本能」を呼び起こす必要があります。そして、これが結構疲れるんですよねー・・・。
こういった、意識、無意識など自身を「内観」するという事が書くことの第一歩なのだろうと、最近やっとこそさ気がつけたような気がします。
編集者のつっこみ
ライターというのも大変なんですね。そういえば、酔って夜中にかいたラブレターなんかもこちらに入るのでしょうか。