コラム vol.27
長年使った革張りのソファ。修理ができずさようならをするとき。
コラムを書いていく中で改めて周りを見渡すと、様々なシーンでソファが使われている事に気がついたという話を前回お伝えしました。
そして、それは私の身の回りも例外ではないなと最近考えさせられる出来事があったので、「ソファの修理」というテーマで今回ご紹介したいと思います。
『引っ越しをする事になりました』
長年実家は賃貸で暮らしていましたが、父親の定年退職が迫ってきた昨今新しい中古のマンションを購入し引っ越す事になりました。
新しい家を見つける事から、リフォーム業者と内容について話をしたり、引っ越し業者、エアコン取り付け業者探しと「家を移る」という事は物凄いエネルギーを必要とする事に気がつかされますね。
現在は実家で同居をしている事から、私自身も色々と身辺整理を行い不要なものをバンバン処分しています。
冷静に身の回りのものをみると「なぜ、これを買った?そして、なぜ持ち続けているのか?」などと哲学的な気分にさせる大量の物、またはゴミの数々。
しかし、そんな中でも捨てられないものというのが結構あるのです。
『捨てられないもの』
「なぜ、捨てられないのか?」自称思想家の私が色々考えた結果、それは「思い入れ」が大きく関わっているような気がします。
例えば、私の自室にあるファブリック製のソファはアウトレットで通常15万円のものを5万円で購入したというお得感が頭から離れない事もさることながら、社会に出て初めてもらったお給金というもので買ったソファという「思い入れ」の部分がやはり大きいような気がします。
さらに我が実家にはもう一台革張りのソファがあるのですが、これが今回のコラムの主役となります。
『革張りの業務用ソファ』
家の居間を占拠するかれこれ20年以上使い続けてきた大きな革張りのソファ。
私が小学生くらいの時、当時住んでいた千葉県のどこかの家具屋で業務用の物を当時で20万円くらいで購入したと父親が言っていました。
その当時はバブル期とはいえ、給料もそこまで高くなかったであろうときにそんな巨額なソファを購入する無計画性は私にも脈々と受け継がれているなと、自分で購入したソファを見ると実感させられます。
転勤族のため多くの場所を今まで転々としましたが、そのソファは私の家族とともにアメリカの暖炉がついているリビングから、名古屋、大阪と家のリビングに鎮座し続けていました。
業務用のソファという事で、とても丈夫なソファでしたがやはり20年という歳月には勝てないのか、座面は破けていてクッションがむき出しになっている部分をテープで補修するなど応急処置は施していましたが、今回の引っ越しを機に修理業者に修理の見積もりをとってみることにしました。
『修理するのは買うより高い』
町の工場で一人でほそぼそと修理をしているおじさんが知り合いにいるという事で、その人に家にきてもらって現物を見てもらいました。
「あー、これは座面が縫い付けられてるから取外し大変ですわ」という話を皮切りに、座面の部分だけ合成皮革にしても結構値段がかかるという事のようでした。概算で「40~50万」くらいだったような気がします。
車でも家でもなんでもそうですが、「修理」というのは買うよりも高くつくのが最近の傾向ですね。
「それだけのお金があったら、新しいソファを買った方が安いなー」と、修理することはお見送りになりましたが、捨てるのかといえばおそらく父親はそれを捨てないような気がします。
「物には魂が宿る」といいますが、苦楽を共にするなど「思い入れ」がある以上、一見ボロボロのソファにも「思い入れ」が出てしまうのは、相田みつおじゃないですが「人間だもの」という事にほかならない気がします。
そういう意味では私の家のソファはいつの間にか人生の一部になってしまっていたようです。
「でも、多分買い替えた方が絶対新しくてきれいなソファーに座れるからいいんだよなー」と言う話を、その後父親とするなど人間特有のいいかげんさが頭の片隅にあるも否めない事実なのでした。