ライフデザイナーだいごの四方山コラム
四方山コラム
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コラム vol.69
怪しく光る宝石

 ダイヤモンド、ルビー、サファイア。

 世の男性、女性達は、光輝く宝石に羨望の眼差しを向けます。

 しかし、それは人にも当てはまるようです。

 そこで、今回は人の持つ宝石に似た輝きについて考えました。

『原石の見つけ方』

 「玉石混交」という言葉がありますが、宝石になる石とただの石ころは傍目には中々区別がつきません。

 原石探しにおいて石の形が美しい事が全てではなく、少し歪な形でも実は磨いたら中からとんでもない光を放つ石が隠されている場合もあります。

 これは人を見るときにも同様で、必ずしも所作がしっかりしている人間が輝く宝石になるとは限りません。逆に素行不良で「この人、大丈夫かな?」という人間が化けるという現象を目の当たりにした事もあります。

 この「光るものがあるのかないのか」。分かる人には分かるようです。ただ、それは勘のようなものなのかもしれません。

 つまり、宝石を見つけるにあたって必要な事は、原石の形に囚われてはいけないという事です。

『宝石の磨き出し』

 どのような形であれ、拾った原石を磨かなければなりません。光る可能性がある石は磨き始めると奥からなんともいえない「鈍い」光が見え始めてきます。

 昔、「ザ・ベストテン」という歌謡番組がありましたが、この磨き出しの宝石は、デビューしたての昭和歌謡の歌手に置き換えると分かりやすいと思います。

 「ステージ慣れしていない戸惑いがもたらす独特の表情」「これから、売れたいという目に見えないパワー」。不安と情熱が入り混じった不思議な魅力は、例え知名度が無くとも分かる人には分かるようです。

 歌手の松田聖子も、デビューしたての当時の映像を今見ると髪型やステージ衣装は時代のギャップを感じさせますが、そういったものを差し引いても人を惹きつける魅力というものは隠すことができません。

 そして、皮肉にもこの時期が宝石にとって一番いい輝きを放つ時期であるともいえます。そして、光るものがあると認められた宝石は次のステップへと進んでいくのです。

『宝石のカット』

 原石の光が見えてくると「カット」の作業が始まります。専門の工具で削り取られた宝石は次第にその輝きが露になります。

 次第に人々は輝きに引き寄せられ、その宝石に賞賛の言葉を投げかけます。「なんて美しい宝石だろう」「素晴らしい輝きだ」と。ここで、はじめて宝石は世間に認められる存在になります。

 しかし、宝石は人々の注目を集めるものの次第に様々な手垢がつき、経年変化によりその輝きが曇りはじめます。これは、有名な歌手がスキャンダルによってその姿を消すことや、声が全盛期に比べて出なくなってしまう事に近いような気がします。

 しかし、宝石は宝石です。その価値に見合った手入れ、磨き方を怠らなければ、また違った味のある輝きを再び放つようになるはずです。

 宝石の光。それは昭和歌謡の歌手に限らず、様々な人間が辿っていく軌跡に似ているのでは?つまり、どんな人でも一度は輝く瞬間があり、一度その輝きを失っても努力次第でその輝きを取り戻せるはずです。

 つまり、宝石の光とはソファ屋でお気に入りのソファを見つけて長年愛用することでもあり、レコード屋でジャケ買いしたレコードに針を落としてイメージのギャップを楽しむ事でもあり、日々の生活そのものなのです。

編集者のつっこみ

編集者のつっこみ

今はインターネットがあるので原石探したい放題ですよね。でも昭和歌謡のようなゾクッとするギラつきを目の当たりにする事は減った気もします。

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